「脱毛人形」という不思議な人形が、
この世のどこかにあるといいます。
ムダ毛に悩む女性のもとに現れ、この人形と一緒に
眠るとムダ毛が無くなるのだとか。
そんな、奇妙な噂がある人形です。
今宵も、ひとりのムダ毛に悩む女性のもとに
脱毛人形は舞いおりました。
あの忌々しい存在のせいで、わたしの未来に希望はない。
一切の露出がないように服を着込んで、周囲からの嘲笑に怯えながら暮らす毎日。
こんな人生を送るはずじゃなかったのに。
わたしはずっと、アイドルになりたかったのに。
いつかキラめくスポットライトの下で、大きなステージの上で、多くの人に感動や喜びを与えられたら……。
小さいころに夢見て以来、ずっとアイドルになれるよう努力してきた。どうすれば周囲から「かわいい」と思ってもらえるか、どうすれば人気者になれるか。
常に立ち居振る舞いや言動に気をつけ、勉強もスポーツも人一倍、熱心に取り組んだ。
おかげで学校では、他学年にも噂されるくらいの人気者になった。
なのに。
わたしは膝を抱えた腕をぎゅっと握りしめた。指先に、ゴワゴワの質感がまとわりつく。
思春期を過ぎたころ、わたしの夢や努力の全てを壊す存在が現れたのだ。
ムダ毛だ。
他人よりも明らかに濃いそれが全身をうっすらと覆うようになると、学校のいたるところでわたしを笑う声が聞こえてくる。
「顔も性格もかわいいのになぁ……」
「あんなに毛深いのにアイドルになりたいんだって、ウケる」
心無い言葉に傷ついて、何度も泣きながら毛を剃る。しかし、剃った毛の断面はいっそう濃く見えてまた泣いた。
わたしの自信は崩れ落ちていった。
ダンスのレッスンも、ボイストレーニングも足がすくんで教室へ向かえない。
人に会うのが怖くなってしまったわたしは、次第に家にこもるようになってしまった。
そして、いつしかわたしの夢はわたしではないものへと投影されるようになる。
人形だ。
絹のような美しい肌、大きな瞳、愛らしい表情。多くの人から愛される姿はまさに、わたしの理想とするアイドルそのものだった。
「自分がなりたかった姿」を人形に当てがうことで、惨めな気持ちを少しでも紛らわせようとしたのだ。
それでもやっぱり、悲しいことに変わりはなかったのだけど。
ある日、部屋で見慣れない人形を見つけた。
「脱毛人形……?」
――この人形と一緒に眠って不思議な力で脱毛しよう
箱の裏側にはそんなキャッチコピーが書かれていた。
聞き覚えのない商品名に、わたしは首をかしげる。
こんな人形買ったかな?
ひょっとして「脱毛」という言葉が目について、とっさに購入してしまったのだろうか。
箱から人形を取り出してまじまじと見つめる。
どこもかしこもツルリとした肌が美しかった。
自分も、こんな綺麗な肌だったら。
人形みたいにピカピカの肌だったら、夢を諦めずに済んだのかな。
美しい肌をスポットライトにきらめかせながらステージで歌う……。ムダ毛がないわたしを夢見て、その日は人形を抱きかかえたまま眠りに落ちた。
毛が、ない。
翌朝、起きたわたしの視界に飛び込んできたのは美しい足だった。
そこには、昨日まであったはずの毛が一切生えていなかった。
「どうして? いつのまにムダ毛が……」
驚いて起き上がろうと身を起こしたとき、枕元の人形が目に止まって、わたしは声にならない息を漏らす。
人形の全身にムダ毛が生えていた。
考えるより先に恐怖心で身体が動く。とっさに、化粧台にあった毛抜きを掴んで人形から生えた毛を引き抜こうとした。
痛
い
!
プツンッ、と嫌な音を立てて人形から毛が抜けると同時に、わたしの腕に電流のような痛みが走る。思わず毛抜きを床に落としてしまった。
今度は人形の足をカミソリで剃ってみる。
すると、わたしのすねはカミソリ負けしたように小さな傷ができてしまったのだ。
たった一晩でムダ毛が生えなくなったわたし。対して、ムダ毛が生えるようになった人形。
「脱毛人形……」
ひょっとして、身代わりになってくれたのだろうか。
ムダ毛に取り憑かれたわたしの。
待って。そんな非科学的なことが現実に起きるわけがない。
人形が身代わりになってムダ毛を引き受けてくれるなんて、不気味にもほどがある。
ふと、わたし自身の腕や足を触ってみる。
何度欲したかわからない、すべすべの美しい肌がそこにあった。
どんな理屈なのかは分からなかったが、思いがけず望んだものが手に入ったため、わたしはそこで深く追求することをやめてしまったのだ。
「幸運の人形を手に入れたと思えばいいんだ」
この人形があれば、わたしの人生はまたスタートできる。アイドルになる夢をきっと叶えられる。
わたしはその日から、毎日人形を抱き寄せて眠った。
「OK〜!次はこのポーズ、いってみようか!」
脱毛人形を手に入れてからのわたしの生活は一変した。
他人に肌を見せることへの自信がつくと、積み重ねて来た努力もあって、一気にアイドルへの道が開きはじめたのだ。
以前はオーディションで落とされていた事務所も、すぐにレッスンやライブの機会をわたしに与えてくれた。
さまざまなテレビや雑誌への出演、ダンスに歌の練習。
家では帰って寝るだけという日々が続き、人形遊びはもちろん、人形のこと自体すっかり忘れてしまっていた。
その日は、新作衣装を身にまとってのスチール撮影だった。
わたしがデビューする曲で着用する衣装だ。
深夜に及ぶ撮影を終えて、わたしは疲れ切った身体で帰宅した。
明日も朝からダンスのレッスンだから早く寝なきゃ。
「それにしても……」
わたしは寝る準備をしながら、枕に置かれたそれを横目で見た。
そこには、人形の不思議な力をはじめて感じたあの日にくらべて、より多くの毛に包まれた人形があった。
わたしの肌がキレイになればなるほど、人形の毛が増えていく。
心のどこかで警告が鳴っているような気もするけれど……。
だめだ、疲れすぎていて起きていられない……。
カ
タ
ン
、
カ
タ
ン
…
。
ああ、部屋の窓が開いている。眠ったままの頭でぼんやりと思った。
吹き込んだ夜風、眠る身体を撫でられて、わたしは重いまぶたをこじ開ける。
ピントの合わない起き抜けの視界。
夜更けの窓際に、誰かが立っている。
「誰……?」
慌てて電気をつける。
「あれ?誰もいない……」
カタン。
今度は窓の向かいに置いたドレッサーからかすかな音がして、振り返る。
脱毛人形が、横たわっていた。
「うそ、こんなところに置いてなんかいないのに……」
しかも、見た目が前と違っている。
なんと、人形の髪がわたしと同じ黒色に変わっていたのだ。
髪の色だけではなく、顔つきまで以前と違う。どことなくわたしに似てきてはいないだろうか。
「気持ち悪い……!!」
わたしは人形を乱暴に掴んで、もともと人形が入っていた箱に押し込める。そのまま外へ飛び出しゴミ捨て場にそれを投げ捨てた。
もう、わたしに人形は必要ないんだ。
アイドルとして夢を叶えはじめたんだ。
だから、放っておいて。わたしに近寄らないで。
翌日、昨夜の不気味な出来事を振り払うようにレッスンに没頭したわたしはクタクタに疲れ、普段よりも深い眠りに落ちた。
……。
どれくらい時間が経っただろうか。
睡眠と覚醒のはざまで、夢をみた。
ベッドに横たわるわたし、その身体が動かない。
まるで作りもの、それこそ人形になってしまったような……。
わたしの……。
身体が……。
ピクリとも動かないわたしの指先に、何かが触れた。
モサモサとしたような、フワフワとしたような。
これは、毛だ。
一気に恐怖の臨界点に達して、叫び声をあげそうになるけれど声が出ない……!
気配を感じるほどすぐ近くに、誰かが立っているのがわかる。
「……はぁッ!!」
悪夢からさめた。バクバクと張り裂けそうな心臓が熱く、背筋は凍りつきそうなほどに冷たい。
襲ってきたあれは、間違いなくわたしだった。
脱毛人形の服を着たわたしが襲いかかってきた。
動かない身体の感触も、襲ってきたわたしもあまりに生々しくて、わたしは跳ね起きるとゴミ捨て場へ走った。
なにか嫌な予感がする、それも、すごく嫌な予感が。
ゴミ箱に打ち捨てられていたのは、箱だけだった。
人形だけが、こつぜんと消え去っていた。
「一体どこに……」
日中雨が降ったせいか、箱の脱毛人形の文字が滲んでいるのが見て取れた。
「まさか……」
湿気て落ちかけている、箱の表面を指で拭ってみる。
「脱毛」という文字は「呪い」に変わっていた。
あれは脱毛人形ではなく、呪いの人形だったのだ。
夢の予感が確実なものになる。チリチリと首筋が逆立つような恐怖にわたしは路上にへたりこんだ。
あの人形は。
わたしのもとに現れ、わたしに幸せを与えてくれたと思っていたあの人形は……。
ムダ毛の身代わりになってくれていたのではない。
わたしに取って代わろうとしていたのだ。
人形を止めなければ。
「でも、どうやって……」
わたしは座り込んだまま地面に顔を伏せた。地面には、人形が残していったであろう毛が広がっている。
ブロロロロ!!!
「……!!!」
強い光と音がわたしのすぐそば、ギリギリの距離を通り過ぎた。大型トラックのようだった。
跳ねられるかと一瞬ヒヤリとしたのもつかの間、わたしは地面に散らばった毛が薄くなっていることに気づいた。
トラックのライトが当たった部分だけ、毛が薄く、細くなっている。
「まさか……」
わたしはライトを部屋に取りに戻ると、なるべく近距離で当たるように光を毛に当てる。
かすかに、けれど確実に消えゆこうとする毛がそこにはあった。
「ひょっとすると……!」
わたしはライトを握りしめると、路上に落ちた毛を辿って夜の街に駆け出した。
毛を追って、深夜の街を走る。
月は、いつの間にか雲に隠れていた。
止めなければ、呪い人形を止めなければ、わたしが消えて無くなってしまうんじゃないか。
たどり着いたそこは、わたしが所属する劇場だった。
わかる、ここに、人形がいる……!
わたしはライトで足元を照らしながら人形を探す。
人がいなくなった劇場は、昼間のにぎやかさとはうって変わって寂しい空気が漂っていた。
ライトの光が壁をてらした瞬間、わたしはようやく恐怖の絶叫をあげた。
わたしの、
わたしの写真が……。
「
嫌
だ
!
嫌
だ
、
い
や
ぁ
ー
ー
ー
ッ
!
!
」
「人形はどこ……!?」
毛が絡まりついた席が視界に入るたび、折れそうになる心を自分自身ではげましながら舞台へと向かう。
「……が、……になる……」
地の底から響くような声に、わたしはライトを舞台へ向けた。
舞台の袖にたたずむ、ひとりの影。
呪い人形だ……。
向かい合ったその瞬間、空気がピンと張り詰める。
歯がガタガタと震え、息がヒューヒュー漏れるのを止められない。
わたしは、こんなに恐ろしいモノを側に置いていたのか。
「
オ
マ
エ
の
カ
ラ
ダ
は
ワ
タ
シ
が
モ
ラ
ウ
…
…
」
人形が、わたしに飛びかかってきた。
長い髪がわたしの腕を縛り上げ、衝撃でライトが床に落ちる。
漆黒の闇に包まれた空間にザワザワとした毛の気配が充満して、逃げるようににわたしは身をひるがえした。
スポットライトの強烈な光が舞台に降り注ぎ、呪い人形を直撃した。
バタッと人形は倒れ、わたしの姿をした状態からやがて人形そのものに。
そして最後は薄まりながらゆっくりと消え去っていった。
「わたしは、わたしの力で、夢を叶えるんだ……」
ようやく安堵を感じて、思わず涙があふれた。
わたしは握った手を胸元でギュッと抱きしめる。
その指先には、以前のように毛がうっすらと生えはじめていた。
呪いが解けたことで、ムダ毛は戻ってきてしまった。
でも、もう大丈夫。
その翌日からわたしは、脱毛サロンに通うことに決めた。
呪い人形に打ち勝ったことで、ある種の自信がついた気がする。
わたしは自分の意思で、自分の努力で、アイドルを目指すことに決めたから。
もう、自分の闇にのみ込まれて、呪い人形に目をつけられることなんてないから。
今日からまた、アイドルへの道を目指していこう。
わたしが輝くためのわたし自身の挑戦は、いまはじまったばかりだ。
fin